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# by morinobangoya | 2015-12-31 23:15 | (有)丸万フォレスターズ

森の番人のおもちゃ箱

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# by morinobangoya | 2015-12-30 23:17

それぞれの「0」(ゼロ) 知覧見学編

知覧特攻平和会館は帝国陸軍の出撃基地後に作られた施設で、陸軍の特攻を知るうえで貴重な資料を展示している。

今回、かねてから行きたいと思っていたこの施設に訪問できるチャンスが訪れた。

日本木材青壮年団体連合会の全国会員宮崎大会が6月13 14日の2日にわたって行われた。
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私は昨年からOBとなったが、現役の時から毎年参加している。大会の運営は素晴らしく九州地区さらには宮崎木青会の方々には、本当に感謝を申し上げたい。

式典の後のシンポジウム、そして大懇親会。こんなサプライズゲストさんも登場した。
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今回の大会会場はは九州宮崎。

この機会に少し足を延ばして知覧を訪問しようと思い立った。そこで会の先輩方を中心にお声を掛けさせていただき6名が集まった。また、当日、2名が加わり、車2台、合計8名で訪問することとなった。

熊本の先輩に先導していただき、3時間ほどで知覧の町へと入った。

愛媛の友人から独特の空気が流れる町だと言うことを聞いていたが、まさにその通りだった。特攻平和会館向かう道の沿道には鎮魂の灯籠がずらりと立ち並ぶ。
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ちょうど昼時、昼食は「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのお孫さんが営む知覧茶屋を予約しておいた。
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鹿児島名物の豚骨のうどんセットをお願いした。ボリュームたっぷりでお腹がいっぱいになった。
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さぁいよいよ特攻会館の見学だ。
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入り口にある映画に使われた隼のレプリカの前で記念撮影をし、中入った。
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映画の影響か結構な人出だ。

すぐに語り部さんの説明が始まったので全員でこれを聴くことにした。

開始早々すぐにハンカチが必要になった。

特に少年飛行兵たちの部分は、ちょうど自分の息子の年代と重なり、涙が止まらなかった。

初めて見るブカブカの飛行服を着て訓練に励む子供たち。

そのほとんどが出撃していった。17歳~19歳。気丈なことを言ってもまだ子供、少年飛行兵たちの遺言は、ほとんどがお母さんにあてたものだった。

30分にわたる語り部さんの説明はずっしりと心の中に響き渡った。

ここからは集合時間を決め、各自、中の展示を見学した。

ここには日本陸軍の現存する戦闘機が展示されている。

展示されている陸軍の機体は3機

陸軍3式戦闘機 飛燕(ひえん)現存する1機 
陸軍4式戦闘機 疾風(はやて)現存する1機
陸軍1式戦闘機 隼(はやぶさ)レプリカ→すでに現存していない 

また、海軍の戦闘機として、海中から引き上げられた本物の零戦が展示しある。胴体は折れ、朽ち果てているが、20mm機銃2門 13mm機銃3挺をそなえた零戦52型だ。

館内は撮影禁止なので写真はないが、こちらのHPに非常に貴重な写真が多数掲載されている。
http://www.geocities.jp/sawatoshi201/WWII.html

ここの展示物の大半は遺影と遺書だ。もちろん全てを読んでいたら時間がいくらあっても足りない。皆、達筆で、特徴としては特攻要因となってすぐに書かれたものは長く、出撃命令を受け、明日死ぬことが定められたものは短く、決意に満ちている。

有名なこの写真
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知覧のそばの万世飛行場で、出撃2時間前に朝日新聞の記者が撮った、第72振武隊(この子たちは自分たちを「ほがらか隊」と称していた)の写真

これが、あと数時間で死ぬことを運命づけられた顔であるとは、とうてい信じがたい、笑顔である。

中央で仔犬を抱く少年は荒木幸雄少尉。この数時間後に沖縄本島中部に広がる金武湾の東約50kmの位置で、アメリカ海軍のレーダーピケット駆逐艦「ブレイン」に突入したと推測されている。ブレインは第72振武隊の突入によって大破・炎上、荒木も戦死した。享年17。



こんな子供たちの、決死の行為に護られて、今の日本があるのだ。



我々はいま、本当に、この子たちに恥じない生き方をしているのか?そんな思いにかられ、建物の外に出た。


外には「三角兵舎」という特攻要員が出撃までを過ごした宿舎のレプリカが設置されている。
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こんな兵舎が飛行場からはなれた山間にいくつも点在していたそうだ。

隊員は出撃命令が下ると、重く永い夜を、遺書を書いたり、悶絶したりしてすごしたに違いない。そして朝には、皆、晴れやかな笑顔と澄み切った瞳で飛び立っていったという。彼らなりに自らの命をどう使うかを、さまざまな葛藤と折り合いをつけたのだろう。彼らの身の回りの世話をする女学生たちの証言によると、涙で濡れた枕が多くあったという。

レプリカとはいえ、内部はとても撮影できない。安易に撮影などしてはいけない気がした。

予定を少し早めて、知覧特攻平和会館を後にした。これから何度も来なければいけない場所だと思った。


特攻は戦争が生み出した悲劇だという見方は多い。

たしかにそうかもしれない。

しかし、散華された方々に「かわいそうなことをしました、申し訳ありませんでした」と言うのは無礼であると思った。

私たちが言わなければならないのは「ありがとうございました。おかげで今があります。平和な日本を守り抜いて見せます」ということではないか。

それこそが、自らを犠牲にしてこの国を守った方々への鎮魂になるのだと思った。

今回、尊敬する業界の先輩方と、ここに来ることが出来て本当に良かったと思う。そして今度は鹿屋にも行ってみたい、行かなければいけないと思った。

帰りは、途中で鹿児島縣護国神社に参拝し、鹿児島空港からそれぞれの自宅まで帰路に着いた。
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先導してくださった熊本のS先輩、茨木のO先輩ありがとうございました。

また、関西のM先輩、O先輩、H先輩 豊橋のO先輩、和歌山のO君 充実した楽しい時間をありがとうございました。
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来年は松山、どんな企画になるのか、楽しみです。
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# by morinobangoya | 2014-06-20 07:04 | 森の番人s cafe

それぞれの「0」(ゼロ) 映画感想編


映画「永遠の0」が公開終了になり、すでに2か月ほどたった今、なんで、今頃映画の感想を云々するのか・・・と言われそうだが、思うところがあり、語ってみようと思う。

この物語を知ったのはテレビのバラエティー番組。すでに50万部以上を売り上げていた頃でだった。本屋さんに置いてあるのは知っていたが「0」が零戦のこととはつゆ知らず、手に取ることもなかった。

原作の中身は素晴らしかった。おそらく、多くの方が、物語中盤の、朝日新聞の記者がモデルと思われる高山と、学徒動員され、特攻要員となったが、出撃前に終戦を迎え、その後、大企業のトップとなった武田氏の激しいやりとりを読んで、痛快に感じたことだろう。

また、物語は主人公の「宮部久蔵」を知る何名かの証言をたどっていく展開だが、おそらく膨大な取材記録による、ノンフィクションに近い内容であろう。整備兵であったり、通信兵であったり、そんなことがあったのかと思わせる驚くべき内容だ。

映画化されると知った時、はたしてこの分厚い小説をどこまで忠実に再現できるのかというモヤモヤしたものがあった。

映画を観て、正直、「やっぱりな」というのが最初の感想だった。

制作委員会の面々としてエンドロールに流れる企業名を見れば、まったく頷ける。

ただ、その後は納得がいかず、何度か観た。

そのうちに、なんとなく百田さんの意図したものがなんとなくわかるようになってきた。(あくまでも素人の想像であるが・・・)

そして、原作、映画とも観て、本当に自分は無知で素人だったことがわかった。
以下に羅列すると・・・





この戦争は太平洋戦争ではなく、正式には大東亜戦争と呼ぶのが正しい。

真珠湾攻撃の主役は零戦だと思っていたが、実際は400機近い出撃した海軍航空機のうち零戦21型は120機(任務は航空機や艦船の護衛であった)攻撃の主役は99式艦上爆撃機 と97式艦上攻撃機であった。戦闘機では艦船は攻撃できない。

「神風特別攻撃隊」は正式には「しんぷうとくべつこうげきたい」といい、この名前は基本的には海軍だけのものである。

戦闘機が攻撃態勢にはいると燃料タンクを落とす(機体を軽くする)

戦闘機が機銃掃射をすると薬莢が飛び散る などなど・・・



映画のVFXは素晴らしく、爆撃機が爆弾を切り離す(落とす)瞬間は、ああ、ラグビーのパスみたいだな、とか、空母「赤城」は航行中は左側からものすごい水煙をはいていたんだなとか、もう、次から次へと「目からうろこがおちる」がごとくだった。

映画も物語もすべてが特攻についてのものではない。

が最後は宮部は特攻へと旅立っていく。

壮絶な特攻シーンは映画では詳細に表現されてないが、原作ではその様子が事細かく書かれている。当時のアメリカ海軍の最新兵器「VT信管」をものともしない宮部の敏腕さが良くわかるシーンで、それに対してのアメリカ海軍が敬意を表する様子も描かれている。





実はこれには、モデルがいた。

実際にあったことだったのである。

宮部が突入した戦艦「タイコンデロガ」のモデルは,降伏文書調印式がその甲板で行われた、巨大戦艦「ミズーリ」だったのである。

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これが、そのシーンで、特攻の瞬間を捉えた、もっとも有名な写真の一つである

この本を読んだ。
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鳥肌がたった。

写真の突入機のパイロットは誰だったのか・・・

これを特定するまでの道のりを記録した本である。

そして、もっと色々なことが知りたくなった。

色々な本を読んだ。
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そして、その機会が訪れることになる。       続く
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# by morinobangoya | 2014-06-17 07:31 | 森の番人s cafe

第2回 木賢会

3月2日(土)に和歌山県「伊太祁曽神社」において第2回木賢会が開催されました。

木賢会とは・・・・

「木賢会の名前の由来は「木人賢人の会」、即ち「木に携わる賢い人たちの会」「木材を正しく(賢く)使う人たちの会」という意味です。
この条件に当てはまる人ならどなたでもお入りいただけます。
入会金無料、年会費無料。
活動は、各個で木材の正しい活用を実践・広報・啓蒙すること。
尚、年に1度程伊太祁曽神社にて懇親会を予定しています。(2~3年に1度はクエ鍋の会)」

BY奥禰宜さん

メンバーは日本木材青壮年団体連合会メンバーを中心に、材木屋、工務店、その他木に携わる方々、木を愛する方々で構成されております。

今年も「伊太祁曽神社」公式参拝・勉強会・懇親会(クエ鍋)の3部構成です。

朝、名古屋まで車を走らせ、名古屋からは近鉄です。

ちょうど、近鉄特急の新型車両「しまかぜ」の試乗会が開催されておりました。式年遷宮に合わせての投入でしょうね。

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私はお気に入りの特急「アーバンライナー」で大阪難波に向かいます。

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難波からは、今年も大阪の木材団体の友人が車をだしてくれていて、伊太祁曽さんまで彼の車で向かいます。あきお君、ありがとうね。

伊太祁曽神社に着き、休憩所にて顔合わせ。そして、休憩所のすばらしい造りに一同目を見張ります。
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いよいよ公式参拝。

私は、昨年、直前に不幸があり、服喪期間でしたので、昨年は参拝できませんでした。
ようやく、参拝できます。

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続いて勉強会。

今年も奥 禰宜さんに講師をお願いし、伊太祁曽神社にお祀りしてある「五十猛命(いたけるのみこと)」についての勉強と、参拝の常識について、貴重なお話をいただきました。
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それに先立ち、三重の落合日本木青連直前会長よりご挨拶をいただきました。
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さて、お楽しみの懇親会
ことしも「クエ鍋」をいただけるのはこのお店
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お待ちかねの「クエ鍋」です。
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いやーーー盛り上がった。美味しかった。

中締めは、恒例となりました木曽の池田木材の池田社長による木遣り歌で〆ます。
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私は日帰りだったので、中締め後は帰途につきました。

大阪の先輩が和歌山駅まで送って下さるとのことで、お言葉に甘えてしまいました。

電車の中では木曽の池田社長、古材の会社を全国展開されている井上社長にご一緒していただき、大いに語り合いました。本当に有意義な時間でした。

来年も、このメンバー、いや地元からもう少し増やして参加したいです。

素晴らしい先輩、仲間に恵まれ、感謝の気持ちでいっぱいです。
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# by morinobangoya | 2013-03-04 23:31 | 木材青壮年会活動